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渡邊英理准教授(日本文学)が博士号を取得しました!

2013年04月11日

宮崎公立大学人文学部の渡邊英理准教授が、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻にて博士号を取得しました。修士課程時代から継続して取り組んできたテーマ「路地と文学-中上健次の文学における遍在化する路地、および歴史のなかで蠢く者たちをめぐる文化研究」の研究成果が認められ博士号取得へといたりました。このことについての渡邊准教授へのインタビューをご覧ください。

 

 

渡邊准教授、おめでとうございます。この研究テーマについて概要を教えてください
ありがとうございます。
日本文学の中でも現代、特に1960年末から直近の現代に至る文学にスポットをあてています。この時代の変遷は、「戦後の高度経済成長期から消費社会を経て、現代の格差社会に至る過程」としばしば言われますが、こうした括り方では見えてこない社会の姿を見出したい、というのが狙いです。具体的には、高度経済成長期、その成長の流れに乗れなかった人たちという視点から、被差別部落の出身の作家である中上健次に注目し、「奄美二世」の作家・干刈あがたや、沖縄文学の作家・崎山多美といった、「移民」や「女性」という立場を前景化する他の作家の研究と交錯させながら、彼ら・彼女らの文学がこの時代をどのように捉え、また、それをどのように再ソウゾウ(想像・創造)していったのかということを追跡しました。

 

なるほど。はじめから戦後という時代に着目されたのですか
研究のきっかけは戦後という時代への関心よりも、中上健次という一人の作家に魅力を感じていたことでしょうか。彼に関する研究を進めていくうちに、「日本の戦後をアジアの戦後の歴史の中で見直す」という問題意識に繋がっていきました。
日本語のように長い期間ほぼ同じ言語体系で文学の言葉が貫かれているのは世界的にもあまり類例がないのですが、中上は、日本語が繋いできたその長い文学の歴史にたった一人の自分自身の言葉で立ち向かおうとした作家ではないか、と。彼の言葉の一つ一つに、日本語の歴史の総体を問い返す運動性を感じるんです。
 

それにしてもすごい論文のページ数ですね
頑張りました(笑)。400字詰め原稿用紙で1,000枚分以上あります。

 

1,000枚! それだけの大作を仕上げられるとは…博士号取得が長年の目標だったのですか
いえ、けして、そういうわけではありません。もともと本が好きで、高校時代も「進学するなら文学部」と思って日本文学科に進学しましたが、学部卒業後、一度出版社に就職しています。その仕事は楽しく、また、たくさんの刺激があったのですが、ある時から専門性を究めることに自分らしさを感じ、大学院に進学しました。その時点で博士号取得や大学教員になるという具体的な目標を持っていたかは覚えていません。ただ、少なくとも文学に関わる仕事をしていこうとは思っていましたね。

 

渡邊准教授の研究論文(右端)とこれまでに寄稿した書籍・新聞の一部


 

渡邊准教授にとっての文学の魅力とは
特定の空間と時間の組み合わせで構成される「時代」の複雑さをリアルタイムで捉えるのはどうしても難しいと思うんです。それは、歴史が、常に過去にあった出来事の意味を明らかにしていっていることからもわかります。
相対的なものではありますが、文学の言葉というのは、他のテクストに比べて、けして論理的ではない。非常に非論理的なものである。しかし、そうでありながら、あるいは、そうであるが故に、その時代に漂っていた空気感や、その時代で一番大切だったものを残しているのではないか、と。言わば、文学とは一つの時代の「無意識」や「核心」を同時代の中で掴まえている貴重な証言者なのではないかと考えています。そうした時代の生々しさを伝える言葉の感触というのが、文学の魅力の一つです。
他のどの時代でもなく、私が現代という時代の文学をテーマにしたのは、自分自身が今ある「いま・ここ」を考えたいという思いからでしたが、博士論文では、文学を通じて、21世紀の「いま・ここ」につながる幾つかの線を辿ることができたのではないかと考えています。
 

 

文学作品の内容の追究というよりはその社会背景の方に注目されているのでしょうか
そうですね。文学研究者、あるいは、言葉に関わる批評を書く者として、文学的修辞や、文学的言語そのものが持つ内在的な運動性を常に重視しながら、同時に、文学作品を、歴史や社会の中で生み出されたテクストとして捉え考察しています。実際、研究を進める上では、歴史学や社会学、思想史の先生方と研究会をすることも非常に多いです。また、かつて、ある女子大で、私自身、「ジェンダー論」や「女性と社会」といった科目を担当し教えていたこともあります。
文学というと、一人の作家にスポットを当て、その文学作品を神聖化するようなイメージがあるかもしれません。そうした視点も、もちろん重要ではありますが、しかし、文学も雑誌や新聞に掲載され消費される商品でもありますし、他のあらゆる媒体の言葉と変わらないものであるというのもまた事実です。貴重な発見を見逃さないためにも、私は、自分の研究では広義の文学という視点を大切にしていきたいな、と思っています。
 

 

それは、リベラルアーツ教育や学際性を重視しているMMUの姿勢に合致している気がします
そう言っていただけるのはとても嬉しいです! 自分が属していた大学院がそうだったこともあって、これまで領域横断的な研究を進めてきましたので、学際的な研究ができるこの大学で教員になれたことは幸運だな、と思っています。
私は、2009年3月に東京大学博士課程を終え、それから3年以内という期限で、博士論文の提出が求められていました。その最終の提出期限が、ちょうど宮崎に来た頃——2012年の春でした。提出後の口頭試問はMMUに着任して半年経った2012年9月に行われ、無事、博士号の取得に至ったわけですが、それにはMMU着任後初めて獲った「タイトル」という意味あいも強く、MMUでのキャリアの原点になるものとも考えています。その意味で博士号の取得は、私個人の喜びを越えて、MMUの教職員や学生をはじめとした関係者や宮崎の地域の方々の支えによるものだと、感謝の思いを深く感じているところです。
 

 

この朗報、私も大変嬉しく思っております! 国際文化学科を抱えるMMUだからこそ日本文学という分野が果たす役割は大きいと思いますし
特にこの研究は、世界、特にアジアの中の日本という観点を大事にしていますしね。
東京大学時代、中国・韓国・アメリカ・トルコ等様々な国や地域の人たちと会話を交わしたり、海外の会議やシンポジウムにも積極的に参加しました。また、博士課程卒業から半年後、中国の天津に渡りそこで日本語・日本文学を教え始めています。博士論文の一部は、その天津で書かれたものです。博士論文で扱った主要作品の一つは、中上健次が生まれ育った路地が再開発によって消えていく、まさにその時に中上が切迫した思いで路地を書き連ねた小説群でした。それとまさに同じ風景を、私は、バブルに沸き、再開発が進む天津という街で目撃することになります。また、博論の執筆中は、天津の学生たちとの文学談義にもおおいに触発されたものです。この博士論文自体がこうしたアジアや世界とのつながりの中で積み上げられたことも幸運だったと思います。
 

 

様々な思いが詰まった論文なのですね。さて、MMUに着任されて1年が経ちましたが、本学の印象をお聞かせください
この世界を生き抜く上で重要なのは、自分が生きている世界の問題を、当事者意識をもって考えられるかどうかだと思います。その点で、MMUは様々な幅広い視野・教養を総合的に身につけながら、なおかつ自分自身が好きだと思う道を究められるような環境がありますよね。
それに、学部生でありながら大学院なみのゼミ活動をしているのが驚きでした。これほどきめ細かく少人数での指導体制が整っているんですから、学生にはこの環境を存分に活用してほしいと思います。そして、私たち教員も緊張感をもって学び続けなければなりません。
 

 

ぜひともよろしくお願いします! 最後に、渡邊准教授の今後の展望を教えてください
やりたいことが3つあります。1つ目は…実は、これまでの研究の視点の延長として、決して日本の中心とはいえない宮崎という土地に注目しています。この宮崎で生まれた文学について研究をしたり、それをめぐって地域の方々と、ぜひ、話をしたいと思っています。
2つ目は、宮崎市の波島(太平洋戦争中・戦後に沖縄県から約300世帯が移住した地)をめぐる街と文化の研究です。これは、私自身というより、それを志すゼミ生たちを支えるという形になるかと思いますが、これまで、私自身も、干刈あがたや崎山多美の研究を通じて沖縄・奄美大島への関わりを持ち続けてきたので、ゼミ生たちによる宮崎市波島をめぐる研究の支援をしていきたいな、と思っています。
あとは、これまでの研究成果をいったんまとめ、読者へと手渡し、その反応を受け取ってみたい、ということです。今回の博士論文を単著として出版するという計画もありますので、自分がいる「いま・ここ」について考えている私自身の言葉を、この世界に生きる人たちへ投げかけてみる。すると、どのような反応が起こるのか―—そのことを、いまは、楽しみにしたいと思っています。
 

 

渡邊研究室前に掲示中の、ゼミ生による波島レポート

 

これからも精力的に研究活動を続けてください! 改めて、この度はおめでとうございます
ありがとうございました。 

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