令和元年12月13日(金)第484号『百年の大計 ~The making of MMU~』

突然ですが、大学ってどうやってつくると思いますか?

大学をつくるレシピは次のとおりです(学校教育法2条~4条)。

 

○大学をつくることができるのは、国、自治体、学校法人だけ

○大学は大学設置基準に従ってつくらなければならない

○公立大学や私立大学をつくるときは、文部科学大臣の認可を受けなければならない

 

これをまとめると「大学(ここからは本学のような公立大学にしぼって話しますね)をつくりたいときは、自治体が、大学設置基準に適合し、文部科学大臣の認可をもらえばよい」ということになりますね。

なお、文部科学大臣の認可をもらうためには、文部科学大臣に認可申請書というものを提出しなければなりません。黙っていても認可はもらえないんですね…あたりまえだけど。

 

本学もこうしてできました。1993年、今から26年前のことになります。

 

初公開! こちらが本学の認可申請書一式(控え)。

 

厚さをごらんいただくために積み上げてみました。

約24センチありますね。

 

認可申請からおよそ8か月後、認可をもらうことができました。

こちらも初公開! 本学の設置認可書。当時は「文部大臣」でした。

これで宮崎公立大学のできあがり!

 

こう書くと簡単そうにみえるかもしれませんが、大学設置基準のハードルは高く、これに適合するというのは容易ではありません。

基準に適合しているかどうかの審査の過程では、文部科学大臣が大学設置・学校法人審議会という大学運営の専門家集団に諮問し、この審議会がヒアリング、書類審査、実地審査を行い、適合しているかどうかを文部科学大臣に答申します。

 

宮崎市は、基準に適合して認可をもらうため、不退転の決意で大学設置準備室という組織をつくり、認可申請の準備に2年間をかけました。

当時、政令指定都市以外の一般市は全国に651市ありましたが、大学設置に参画している一般市は6市しかありませんでした。宮崎市は7番目です。

 

さらに、大学設置の前提として、自治体住民の合意形成も欠かせません。大学の設置や運営にかかる経費は、入学料や授業料で足りない場合は税金でまかなうことになるのですから。

本学の場合、1988年に当時の長友貞藏市長が宮崎市に大学を設置することを表明して以来、市民の間に大学設置の気運が高まり、1990年には大学の早期設置を願って期成会が結成されました。

期成会は、2か月間で11万7千人の大学設置を要望する署名を集めました。

当時の宮崎市の15歳以上の人口は22万7千人ですから、この半数が署名したことになります。

 

案外知られていないようですが、本学の門標を揮毫したのは、創立者の長友市長です。

 

そういえば、冒頭で大学づくりのレシピをご紹介しましたが、これにはレシピにつきものの材料が書かれていませんね。

大学づくりに必要な材料は、その大学で教えてくれる先生たち、施設や設備、資金などなど。しかし、大学をつくるにあたって一番大切なものは、地元の情熱ではないでしょうか。

20数年前、この宮崎の地には、はるか未来を見通して人材を育成すべく、本学の設置に情熱を注いだ人々がいました。

この人々の熱い想いから本学は生まれたのです。

 

期成会の設立趣意書はこう結ばれています。

新しい大学を私たち自らの手で設置し、百年の大計をもって地域の財産として守り育て、後世に引き継いでいくことは私たちの使命であると思います。

 

こうして今も、本学は、宮崎市民に温かく見守られています。

 

今回は、昔のことだけはよく知っている事務局長老のモトマルがお送りしました。

 

 

追記

本学の設置に多大な貢献をされ、開学後も本学の礎を築かれた罍昭吉先生(1993年~2005年、本学教授)が10月11日、74歳で永眠されました。早すぎる死を悼み、ご冥福をお祈りいたします。

本学に込められた先生の夢と理想は、宮崎の財産として、後世に引き継がれていくことでしょう。