2013年3月1日(金)第168号 『何のために大学は存在するのか』

こんにちは。学務課コバヤシです。

 

 

2月は他の月よりも2日3日少ないだけなのに、とても短い気がするのはなぜなんでしょう。きっと私たちが全力で生きているからですね。そういうことにしておきましょう。

 

 

さて、今週の花金はかなり大上段からのタイトルです。私はまだまだ下っ端の若輩者ですが、大学職員である以上、この命題は常に念頭に置いて仕事をしています。ちょっと堅苦しいですが、これから入学してくる新入生や在学生に、大学教育や大学生活の意味について一緒に考えてもらえると嬉しいです。

 

何のために大学は存在するのか。人それぞれに様々な考え方があると思いますが、私は「社会をより良くするための装置」として、大学は存在していると考えています。大学が提供する教育環境の中で、大学生は学び育ち、立派な大人へと成長していきます。そして、大学を卒業した彼/彼女たちは、例えば有能なビジネスパーソンとして経済を支え、高い倫理観を持った公務員として制度を設計・維持し、志ある教員として子供たちを教育し、切れ味鋭いジャーナリストとして不正を糾弾し、立派な親として子供を育て、責任感のある市民として自分たちの代表者たる政治家を選ぶことでしょう。すべての大学に税金が投じられているのは、大学教育が未来を担う若者に対する、社会全体での先行投資であるからではないでしょうか。

 

 

そして、大学が提供する教育環境は多種多様です。講義やゼミはもちろん、海外での異文化実習、仲間と作り上げる大学祭やクラブ・サークル活動、地域でのボランティア活動。講義終了後のアルバイトまで含めて、大学時代は視野を広げ、他者と出会い、自分を相対化する機会にあふれています。

大学祭直前期の学生実行委員たち。

 

一方で、高校時代までとは異なり、大学ではこれらの機会がすべて学生の主体的な意思決定に任されています。最低限の講義だけ履修し、自宅でごろごろしながらサークルにもボランティアにも参加せず、居心地の良い自分だけの世界に自閉することも、あるいは可能になってしまいます。しかし、それではあまりにももったいない。4年間で200万円以上の学費を投じていることを考えると、学生にとってももったいない話ですし、前述のように社会全体の損失でもあります。

 

 

偉そうに言っていますが、私自身、大学2年生の時にとても自堕落な生活を送った時期がありました。「笑っていいとも」が始まる時間に目覚め、お茶を濁す程度に1時間だけ大学の講義に出た後は、ひたすら夜遅くまで遊び呆け、テレビ番組が砂嵐になる頃眠りにつく毎日。しかし、留年の瀬戸際まで追い詰められ、大学の講義を初めて最前列で集中して受講したとき、大学での学びの面白さに気づきました。「なぜ?」が頭の中にあふれ、講義が終わった後に附属図書館で関連図書を借りて読み、疑問点をピックアップして先生に尋ねて、と楽しくて仕方がない。

 

 

そんな中始まった専門ゼミでは、同級生の中で自分が1番文献を読み込んで理解している自信がありました。しかし、ディスカッションの場では予期していない観点から質問が飛び、自分の理解不足が客観的に指摘される。そして、もどかしいほど文章が書けない。苦しみぬいて何とか書き上げた自信満々の文章が、先生によって悲劇的なまでに添削される。「面白い」「苦しい」「達成感」「悔しい」のエンドレスループな毎日。

 

渡邉先生の日本文学ゼミの風景。

 

とにかくこの時期は、やるべきことが見つかって、目の前が一気に開けた気分でした。大学での学びがもたらす知的好奇心は、それぐらい生活を変革する力があります。ただ、油断すると私のように、それに気づかず無為に時間を過ごしてしまう可能性もある。だからこそ、これから入学してくる新入生、そして現在学んでいる在学生には、1日でも長く知的好奇心に満ちた大学生活を送ってほしいと思っています。

 

 

就職氷河期と呼ばれて久しい中、就職活動に大きな不安を抱える学生も多いと思います。大学での学びは就職活動が目的ではありませんが、結果的に就職活動でも役に立ちます。なぜなら、「未知の事象を主体的に知ろうとするアプローチ」という点において、大学での学びと就職活動は根幹が同じだからです。また、就職活動で求められるスキルも、大学での学びの中で身についていきます。案ずることなく、全力で勉強してください。

 

 

以上、コバヤシが一片のジョークもなく真面目に真面目にお送りしました!

 

 

 

平成24年度学友会役員が引退し、

 

平成25年度学友会役員が結成されました。活躍を期待しています!