2012年11月30日(金) 第156号 『安心な僕らは旅に出ようぜ、思い切り泣いたり笑ったりしようぜ。』

 

 

私がその曲と出会ったのは、2001年の冬だった。

 

 

当時宮崎公立大学の3年生だった私は、毎日をのんべんだらりと過ごす一方で、周囲の友人たちがいそいそと就職活動を開始する様子を横目に、「そろそろ卒業後のことを考えなあかんなあ」と、どこか落ち着かない憂鬱な気持ちを抱えていた。

 

 

その日は18時前に講義が終わり、特に予定もなかった私は、大学7階のロビーでテレビから流れるミュージックビデオをぼんやり眺めながら、夕食のから揚げ弁当を食べていた。

 

 

 

 

能天気さや破天荒さを強調した、どこか無理やりな感のある狂騒的なミュージックビデオの連続にうんざりしながら、チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばしたとき、次の曲が始まった。

 

 

どんよりとした雲が立ち込めた寒々しい海岸の風景が浮かび上がり、映像とは対照的な、何か大切なことが始まるような予感を思わせる温かいギターのミュート音とピアノのループフレーズが流れ、私はチャンネルに伸ばした手を思わず止めた。

 

 

続いて、私と年齢がそう変わらないであろう、大学生風の男性3人が海岸に並んで立ち、ライターで火を灯す映像。屈折した自我を抱えてモラトリアムの中でのたうちまわっているような、どこにでもいるような大学生。前奏が終わり、そのうちの1人が歌い始めた。

 

 

http://www.youtube.com/watch?v=fpjIsylnvU8

 

 

それから曲が終わるまでの数分間、私はおそらくほとんど瞬きもせず、から揚げ弁当を抱えたまま、ブラウン管に映し出される映像とスピーカーから流れる音楽の世界の中で呆けていた。それは圧倒的な体験だった。体の奥底から甘酸っぱい期待感が溢れてきて、人生に暖かな陽光がさし、未来に続く道程がくっきり見える。「安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」と歌うその曲は、完全に私に向けられた贈り物だとすら思った。

 

 

文字通り私は春休みに旅に出て、今まで目を背けてきていた「私はどのように生きていくのか」について熟考し、おずおずと社会に出る準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

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4年生の卒業の季節が近づいてきている。今年も各ゼミから卒業行事等実行委員が1名ずつ選ばれ、卒業アルバムの制作や卒業祝賀パーティーの企画、卒業記念品の贈呈の準備を進めている。

 

 

 

最近4年生と話すなかで、「来年から社会に出るなんて嘘みたいです」という声をよく聞く。「漠然とした不安も少しあります」という声も。

 

 

 

それはそうだろう。たくましく成長した彼/彼女たちにも、未来に何が待ち受けているのかはわからない。人生の新しいステージに踏み出すとき、期待と不安を同時に感じない人間なんていない。

 

 

 

 

それでも旅立ちの時期がやってきて、私たちは社会という長い長い旅に出る。

 

 

 

 

そんなときに、冒頭に紹介した曲が、そっと背中を押してくれるだろう。

 

 

 

 

「安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、普段から「関西人は言うことが大げさ」と評されている学務課コバヤシが、おすすめの1曲を大げさに紹介しました。