今週から後期の授業が始まり、グローバルセンターは久しぶりに学生で溢れかえっています。長期留学から帰ってきた学生は同級生や後輩と1年ぶりに再会して土産話に花を咲かせ、夏休みの間に将来について考えた1~2年生が絶え間なく留学相談に訪れて来るなど、秋学期特有の「何かが始まる雰囲気」に包まれています。
本学の学生は、協定校への短期・長期留学を中心に、全学生の6割近くが何らかの留学を経験します。留学とは、学生にとっては勉強や異文化経験というチャレンジですが、費用を負担する保護者の方にとっては〈教育投資〉としての意味をもちますので、時々「留学することで何が身につくのでしょうか?」という質問を受けることがあります。政府主導で「グローバル人材」の育成政策が推し進められていることもあり、留学は前途有為の人材になるための教育機会としてとらえられる風潮があるのでしょう。
学生によって留学プログラムの内容や異文化経験がもつ意味は異なるので一概にはいえないのですが、私が毎年留学を経験した学生の土産話を聞くなかで、最も中核的な成果は「自分のことを他者に語れるようになること」なのではないかと感じています。
帰国した学生に「どうだった?」と尋ねると、堰を切ったように多くのエピソードを話してくれます。それは多様な文化的背景を持つ人々との豊かな交流であったり、労働やライフスタイルに関する日本との大きな差であったり、価値観が異なるがゆえに生じるコンフリクトであったり、今だから笑えるけど深刻だったトラブルであったり、実にさまざまです。話を聞いていて、「留学前からこんなに上手に話す学生だったっけ?」と驚くことが多々あります。
しかし、ただ話のネタを探すだけなら外国に行く必要はありません。なぜ留学を経験した学生の話が面白いのかというと、彼/彼女たちが各国共通の社会問題や国際関係の文脈を理解したうえで、日本の政治経済の問題をそこにしっかりと位置づけることができており、いわゆる〈大人としての会話〉ができるようになっているからです。
多国籍な環境で留学する学生は、日本に関するニュースが国際的に報じられたときに、そのコミュニティーで最も日本に精通した人間として説明を求められます。ある学生は、ベトナム人技能実習生の問題が報道されたときに、ベトナム人留学生の友人から血相を変えて「これは本当なのか?本当に日本であったことか?」と聞かれ、大きな罪悪感とともに自身が知っていることを説明したそうです。
日本国内で暮らしているとき、私たちは日々生じている社会問題に対して意見の表明を求められる機会はそこまで多くありません。逆説的ですが、日本にいながら日本とは意識的に無関係でいることも可能です。しかし、外国で留学生活を送っているとき、学生たちは「日本から来ている」という事実から離れることはできません。社会問題に限らず、日常生活のさまざまなトピックにおいて、外国人から「日本ではどうなの?」と絶えず尋ねられることになります。日本を離れることで、これまで深く考えたこともなかった自国のありようについて問われ、改めて考えることになるのです。
そのように外国人に対して多くの語りをくりかえすなかで、世界と自国に関する知識が豊かなものになっていき、社会で起きていることを「自分のこと」として引きつけて思考する能力が飛躍的に高まるのではないかと感じています。そして、そのような能力は「仕事に役立つ」といった狭い領域の話ではなく、人生全般を楽しく豊かなものにしてくれると思います。
グローバルセンターでは、留学を希望する学生を1人でも多く留学実現にまでつなげられるよう、これからも留学支援に取り組んでいきたいと思います。
以上、本日期限の留学奨学金の添削指導のため珍しく花金でボケる余裕のなかった(悔しい)グローバルセンターのコバヤシがお送りしました。